持統天皇

小倉百人一首 002

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま

持統天皇

読み
はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま

現代意訳
もう春は過ぎ去り、いつのまにか夏が来てしまったようですね。香具山には、あのようにたくさんなまっ白な着物が干されているのですから。

※来にけらし / 「来にけるらし」という推定の言葉を縮めたもの
※ほすてふ / 「ほすという」の省略した形
※天の香具山 / 耳成山(みみなしやま)、畝傍山と合わせ「大和三山」と呼ばれている

季節


出典
「新古今集」

解説
「万葉集」の歌人としてもよく知られている持統天皇(じとうてんのう・大化元年~大宝2年 / 645~702年)は、天智天皇の第二皇女で、叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)の后となられ、持統天皇の弟・大友皇子(おおとものおうじ)と大海人皇子が争う「壬申の乱」の時には、夫である大海人皇子と行軍を共になされました。

天武天皇(大海人皇子)崩御の後、皇后として四年間政治をとったあと帝位につき、 第四十一代の天皇となられました。
また、持統天皇は即位の後、都を飛鳥から大和国の藤原宮(奈良県橿原市)に移されました。

この和歌にある「白妙の衣」は、もちろん「白い衣」のことですが、初夏の山の緑と白色の衣との対比が夏の到来の喜びを表していて、すがすがしい感動を与えてくれます。
原歌になっているのは、「万葉集」にある「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾かしたり 天の香具山」と言われていますが、百人一首では、「来にれらし」、「ほすてふ」のように語調がやわらかく、穏やかな調べになっています。

ところで、この和歌は、香具山に積もった雪を、白い衣に見立ててつくった和歌だという説や、初夏に咲く卯の花をたとえているという説などもありますが、いずれにしても、自然の移り変わりと人々の営みを女性らしく巧みに詠まれていて、百人一首の中でもよく知られている和歌のひとつです。

また、持統天皇は都を飛鳥から藤原宮へ移されましたが、藤原京は、天の香具山を含む大和三山に囲まれた地域にあったと言われています。
それぞれの山は凡そ3km程ほど離れていて、北にある耳成山を頂点に三角形に配されています。

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