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瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
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解説
崇徳院(すとくいん / 1119~1164)とは第七十五代の天皇で、鳥羽天皇の第一皇子です。
保安四年(1123年)、わずか五才で即位しましたが、永治元年(1141年)、鳥羽上皇に強いられて退位しました。
後に、保元の乱の責任者として讃岐の国(現在の香川県)に流されましたが、讃岐に流された崇徳院は髪も爪も切らず、世を恨みつづけながら亡くなっていったと言われています。
この和歌は、崇徳院が宮中にいた頃につくった和歌のひとつですが、強い恋心がよく伝わってくる和歌です。
読み
せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ
季節
-
現代意訳
川の流れが早いので、岩にせき止められた急流が時にはふたつに分かれても、またひとつになるように、わたし達の間も、(今はたとえ人にせき止められていようとも)
後にはきっと結ばれるものと思っています。
出典
「詞花集」
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