道因法師
小倉百人一首 082 |
思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり |
おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり |
道因法師 |
読み おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり 現代意訳 つれない人のことを思い、これほど悩み苦しんでいても、命だけはどうにかあるものの、この辛さに耐えかねるのは (次から次へと流れる) 涙であることだ。 ※思ひわび / 「思い嘆く」の意 ※さても / それでも、やはり 季節 - 出典 「千載集」 解説 道因法師(どういんほうし・寛冶4年~ 寿永元年頃 / 1090~1182年頃?)とは藤原敦頼(ふじわら の あつより)のことで、崇徳天皇に仕えて従五位下右馬助になっています。 若いころから和歌には優れていましたが、八十歳をすぎてから出家し、延暦寺に入り大法師と呼ばれました。 この和歌は想いに悩む恋の和歌のひとつですが、道因法師がまだ若い頃に詠まれたものだと言われています。 しかし、「千載集」では恋の歌になっていますが、(対象がはっきりしないことから)人生のさまを詠んだ歌とも解釈することができます。 そのように解釈すると、耐え難いつらさが訪れようとも、結局は生きていかなければならないという、人生の理を詠んでいるようにも思え、味わい深さが感じられます。 ところで、道因法師には、若いころ、歌会の判定に納得がいかず、判定した人へ異議の文書を送ったなどの逸話が伝わっています。 また、八十歳近くの頃にも、住吉明神に月詣をして、「秀歌を詠ませ給え」と祈ったと伝えられていて、晩年まで、和歌への強い想いがあったようです。 道因法師は九十歳の頃にも歌会に参加していて、当時としては、かなりの長寿であったようです。 |
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