後京極摂政前太政大臣

小倉百人一首 091

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝む

きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ

後京極摂政前太政大臣

読み

きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ

現代意訳

こおろぎがしきりに鳴いている霜の降るこの寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を敷いて、わたしはたったひとり寂しく寝るのだろうか。

※さむしろ / 「むしろ」に接頭語の「さ」がついたもの。「寒し」がかかっている
※ひとりかも寝む / 「む」は推量の語

季節



出典

「新古今集」

解説
後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん・嘉応元年~建永元年 / 1169~1206年)とは藤原良経のことで、関白・兼実の次男で、忠通の孫ににあたる人物です。
和歌を藤原俊成に学び、定家などとも親交がありました。
元久元年(1204年)従一位太政大臣となりましたが、建永元年、三十八才の若さで急逝しました。

この和歌は秋の風情を詠んだものですが、先の殷富門院大輔の「見せばやな~」と同じく、本歌取りの技法がとられています。
本歌は、柿本人麻呂の「あしびきの~」と「さむしろに 衣片敷き 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」(読み人知らず)だと言われています。
本歌は恋の歌になっていますが、この和歌では秋の寂しさを詠み込みながらも、恋の哀しさを重ねているようです。

平安の頃には、男女が一緒に寝るときは、互いの着物の袖を枕にして眠ったと言われていて、「衣片敷き」はひとりだけで寝ることを表しています。

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