鎌倉右大臣

小倉百人一首 093

世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも

よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも

鎌倉右大臣

読み

よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも

現代意訳


この世の中は、いつまでも変わらないでいてほしいものだ。渚にそって漕いでいる、漁師の小船をひき綱で引いている風情はいいものだからなぁ…

※常にもがもな / 「がも」は願望を表していて、「な」は詠嘆の語
※あまの小船 / 「あま」は「漁夫」のこと
※綱手かなしも / 「綱手」は舟のへさきにつけてある綱。「かなし」は「愛おしい」の意

季節

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出典

「新勅撰集」

解説
鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん・建久3年~建保7年 / 1192~1219年)は鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男、実朝のことで、母は北条時政の娘・政子です。
十二歳で征夷大将軍、建保六年、二十七歳で右大臣となりました。
定家から歌を学び、多くの優れた和歌を残していますが、右大臣となった翌年の承久元年、鶴岡八幡宮に参拝の帰途、頼家の子・公暁に暗殺されてしまいます。

この和歌は、実朝の素直な心を、日常の景色の中に見事に詠み表しています。
小船が引かれていく何気ない風景ですが、それが常に変わらずにあって欲しいと願う気持ちには、しみじみとした味わいが感じられます。

政治に翻弄された実朝ですが、情のあつい人と伝えられていて、この歌にも、その人柄が表われさているように感じられます。

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