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来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
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解説
権中納言定家(1162~1241)は藤原俊成の子どもで、十四歳で高倉天皇に仕え、正二位権中納言にまでのぼっています。。
平安末期を代表する歌人で、「新古今集」や「新勅撰集」、また「百人一首」の撰者でもあります。
才能にめぐまれ、家隆とならんで歌の世界に大きな影響を与えました。
定家は「百人一首」のうち九十九首まで選びました。しかし自分の和歌が決まらないので、ある女性の薦めから、 この和歌が選ばれたといわれています。
読み
こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ
季節
-
現代意訳
どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、わが身も恋い焦がれて苦しいものです。
出典
「新勅撰集」
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