後鳥羽院
小倉百人一首 099 |
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は |
ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは |
後鳥羽院 |
読み ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは 現代意訳 人が愛しくも思われ、また恨めしく思われたりするのは、(歎かわしいことではあるが) それと言うのも、この世をつまらなく思う、もの思いをする自分にあるのだなぁ。 ※人もをし / 「人」は「世間」のこととも取れる。「をし」は「愛おしい」の意 ※あぢきなく / つらまなく 季節 - 出典 「続後撰集」 解説 後鳥羽院(ごとばいん・冶承4年~延応元年 / 1180~1239年)は高倉天皇の第四皇子で、第八十二代の天皇です。 寿永二年(1183)に安徳天皇のあとをうけ、四才で即位しましたが、建久九年(1198年)、十九才で譲位なされ、院政をしかれました。 和歌に優れ、宮中に和歌所をおき、藤原定家らに「新古今集」を選集させるなどしたほか、管弦や書道のみならず、武芸にも優れておられました。 しかし、鎌倉幕府との対立を深め、承久三年(1221)、幕府討伐を企てられましたが、後鳥羽院は敗れて隠岐に流され、その地で崩御なされました。 この和歌は、後鳥羽院が開催された「五人百首」という歌会で詠まれたものと言われていますが、人の心の機微を見事に詠まれています。 この頃は、幕府との対立が明らかになってきた頃ですが、幕府を意識してのものではなく、広く人としての心の苦悩が表われています。 また、後鳥羽院は多くの歌会や歌合を催されたほか、歌論書である「後鳥羽院御口伝」や、家集には「後鳥羽院御集」があります。 |
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