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わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
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解説
二条院讃岐(1141?~1217?)は源三位頼政(げんざんみよりまさ)の娘で、二条天皇に仕えて讃岐と呼ばれました。
天皇の死後、後鳥羽上皇の中宮 宜秋門院(ぎしゅうもんいん)に仕えましが、式子内親王とならぶ平安末期の女流歌人です。
この恋の和歌は、讃岐が侍女と一緒に海へ行ったときに詠まれたものだと言われています。
読み
わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし
季節
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現代意訳
わたしの袖は、潮が引いたときも水面に見えない沖にある石のように、人は知らないでしょうが、(恋のために流す涙で) 乾くひまさえありません。
出典
「千載集」
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